善の研究 西田幾多郎
100分で名著より
日本最初の哲学書
西田幾多郎
善
明治の終わりに刊行された書籍
元来、真理は一である
天地人生の真相はいかなるものなるか、
真の実在はいかなるものなのか、
世界を理解することが、自分の本質の理解に繋がる
純粋経験
考える以前の、瞬間的な情報
危険に会った時、
危ない、という言葉が出る前の感情
イメージ思考、人間の脳は画像処理に特化している
受け入れ方
宗教的要求
知、愛
知は言葉で理解すること
愛は理屈を超えて理解すること
仕事の現場などでは、知と愛がないと実現できない
一見異なる精神作用であるが、主客合一の作用である
自分と対象が一つになろうとする時に動くもの
感情移入、一致
哲学の動機は、人生の深い悲哀でなければならない
宗教
西田のいう宗教は、今の宗教(宗派)に別れる前の、感覚のようなもの
真の自己にたどりつくことが善である
自己実現
善
=自己の発展、完成
人と分けられない存在=自己
自分を手放していくことが重要 手放す メタ認知
自己は自分だけでは存在していない
自分らしくあろうと意識すると、かえって自分らしくなくなる
善は、行為によって体現されるもの
人格的要求その行為そのもの
200508_追記
→自分史、未来年表を書いて分かったが、自分は自分だけでそうなったわけではなく、環境の影響が極めて大きい(99%ぐらい)
それに気づくことによって、自分の人生が始まるような気がする。残りの1%をどう変えていくか、が人生である気がする
人格の実現が、善である
行為によって体現するもの
行為=考えているだけではない時、行為には他者がいる
普遍的無意識は、個人的無意識より根源的にあるのでは
https://gyazo.com/1336d87157ea2c345889f3d150cf1a09
全人類への貢献が、善に関わってくる
主客合一
善=生きる意味
善=真の自己を知ること
真の自己は、宇宙の真理と繋がっている
今、ここにいる場所も宇宙、自分自身も人類
言葉を超えた世界で、宇宙=無限と一つになる
円の逸話、素朴なものを表す
序文
純粋経験と実在は同じもの、ということを証明したい
実在は現実そのまま
物質の世界はこれから考えられたものにすぎない
高等学校の学生であった頃、金沢の町を歩きながら、そういった思索をしていた
世界をありのまま受け入れなくてはならない
価値観や常識などが、それを脅かしている
りんごは、何も知識を持たない状態であれば、ありのまま受け入れられるが、
一度赤いりんご、などといったように、認識を持ってしまうと、抽象化、概念化されてしまい、ありのまま受け入れることができなくなってしまう
→先入観
https://gyazo.com/019117f414c356ca09101a357fc88061
直感に従うことが重要
実在とは
https://gyazo.com/bcfbabe3ce53fbcf99fb63fafe719ff7
西田のいう現実
情報として受け入れる前の現実、存在
ラジオ、言葉で説明すると、限定されてしまう
素朴なものは、情報になる前のところにある
伊集院光、初めて車椅子ラグビーを見た時のこと
ルールはわからないが、音の迫力でいろいろなことを知ることができた
世界を、メガネを通して見ている
情報の原理
メガネを外してみることが重要で、そのような経験は日常に深く根ざしている
経験が人を作る
人の思いで、経験をしていく、という順番だけではない
独我論を脱することができた
知的直感
対象と合一する状態
ロボコン、ものづくりがこれにあたるとおもう
直にみること、を妨げること
思想
嗜好
好き嫌い
習慣
昨日の自分と今日の自分は違う。
繰り返している、という感覚
→よくみること、常識を取り払った感覚で触れてみる
非日常の価値がいつの間にか、日常の価値より高まってしまっている
それをひっくり返そうとしたのではないか
ハレの日とケの日
善の研究をまとめたあと、家族が次々と亡くなる 死別
妻、8人の子供のうち5人
言い尽くせない悲哀
他の人との出会いにもなっている
絶対矛盾的自己同一
一般には、二つに分けがち 二元論
善と悪など
実際には、それは分けられないこと
多の一、
色即是空、多即一
https://gyazo.com/27e8ed885da8d0f4f1cff9225066e997
現在は過去と、未来と繋がっている
様々な働きかけがあった上での現在
唯一なる世界=現在は永遠であること
昭和初期、戦争に思想が利用される
言葉には力がある
昭和20年、死去
自己は、絶対の自己否定によって自己を獲る
小さな自分を手放すこと
到達できなくても存在している
安心して悲しんだりできることが許されている
生物的生命
人格的生命
死んても残る物
人は二度死ぬ